10月12日
2007-10-13


 本日のネタはゲーム関連。ある意味、ものすごーく長い間暖め続けてきたネタを語ってみようかと。題して、「この趣味のドコが問題か」。ある意味しょーもないネタではあるんだけど、まあ語る意味はあるんでないかと。
 現在、このホビーは3つの要素が重要視されている。それは「ヒストリカル性」=歴史通りの展開になるか、「シミュレイション性」=ああするとこうなる、という法則が現実と一致しているか、「ゲーム性」=対戦型の娯楽として楽しいか、である。この三者を高いバランスでミックスしたものが「良いゲーム」と呼ばれる。この趣味に詳しくない人には悪いけど、何でそう呼ばれるのかは省略。
 ここまではいい。問題は、それを実現するのがベラボーに難しいところ。お互いにある程度矛盾してるので。大抵のプレイヤーは「史実ではどうなったのか」を知っているので、史実通り行動しようとしない。少なくとも負けた側は。そこをあえて史実通り行動させようと工夫すればヒストリカル性は高まるけど、「史実と別のことをやれば別の結果になる」というシミュレイション性を損なうことになりかねない。まして「何をやっても史実通り」では、ゲームとしてどうなのよ!ってことになる。
 指揮官(プレイヤー)が敵味方の事情に精通してる上、後知恵で「こうすりゃ良かった」ってことを知っている関係上、プレイヤーは史実で見られた失敗を繰り返さない。その分効率良く戦うことが出来る。シミュレイション性を高めていった場合、むしろそうならないとマズい。しかしこの展開はおそらくヒストリカルではないし、「強い方が勝つ」という身も蓋もない結論が出てゲームとしてもつまらなくなりかねない。
 ゲーム性を高め、「どっちが勝つかわからない」ようにするのは重要だ。しかし、そこにヒストリカル性があるのかは疑問だし、シミュレイション性すら「無関係」である。両軍共に手に汗握る展開…ってのは、これらを犠牲にしたところにしか存在しない。
 わかりやすくするため、たとえ話をしよう。そうだなあ、「桶狭間の戦い」のゲームを作ろうと考えたと仮定する。有名な戦いだけど、この三者のバランスを取りにくいテーマなので。極端な例だと思うけど、その方が私の言わんとすることがわかりやすいかなと。
 桶狭間の戦いで、「とにかくヒストリカル性を重視」したとしよう。今川プレイヤーの意に反し、今川義元ユニットは田楽狭間で「油断して」いる状態になる。そこに織田信長が奇襲をかけてくる。来るとわかっている奇襲をかわせないのはシミュレイション性に反するし、ゲームとして面白いのかが問題になる。
 じゃあ、シミュレイション性を重視すると?今川プレイヤーは油断しない。奇襲の可能性を考えつつ行動する。そうなれば兵力の多い今川が圧勝する。しなきゃオカシイ。これはヒストリカルな結果ではないし、ゲームとして楽しくもない。
 色々工夫して、今川プレイヤーが「奇襲されそうだ」って警戒してもバランスが良いゲームにしたとしよう。この場合、田楽狭間で今川義元が奇襲されるワケではないのでヒストリカルではなく、その上「圧倒的兵力を持ち、兵の質も低くないはずの今川勢が、何故か織田ごときに翻弄される」という、シミュレイション性にも問題がある展開になることを意味する。
 これを解決する方法は…まあ、簡単に言えば「バランス」である。何かを重視しすぎると、残りが「成立しない」ってことになりかねない。どれも適度に犠牲にしつつ、全体として「まあこんあものか」って範囲に収めれば、ボードシミュレイションゲームとして成立することになる。ま、ごく当たり前の話ですな。

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[赤(ボードゲームの話題)]

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