2月9日
2006-02-10


 今週ではなく来週の日曜日、同人誌即売会コミティアがある。フェブラリーSの日だというのに。今のところの予定では、掛け持ちしようかと(笑)。バカですなあ。つーわけで、事前に即売会のカタログ仕入れました。
 この即売会のカタログは、単なるカタログではない。読み物が充実してる。まあ大半は即売会の宣伝色が濃いものなんだけど、「物書き」には参考になるコラムなんかもある。今回は、その中から「私が感じ入った」部分をお届けしようかと。
 今回感銘したのは、「コミックビーム」副編集長のインタビューにあった、「ユートピアの悲しみ・憂鬱か、ディストピア(注:ユートピアの逆)の楽しさ・希望を描けなくてはいけない」という言葉。これ自体引用らしいんだけど、かなり深い言葉だと思うな。
 以後は私の解釈を。ココで言う「ユートピアの悲しみ・ディストピアの楽しみ」とは、どちらでもないフツーの世界に住む我々が、「共感」できるものを指すのだろう。ユートピアの悲しみが「ヒマでヒマで退屈」だったら単なるイヤミだし、ディストピアの楽しみが「年に1度の白いご飯」じゃ、悲惨さを強調するだけ。もちろんこれらは演出次第でどうとでも受け取れるけど、大雑把に言って「状況を強調する味付け」ってだけなら、意味は薄いんじゃないかな。おそらく、言いたいのはそーゆーことじゃないだろう。
 ここから先は皆様各自で考えてもらうとして、私が思ったのは「このサイトはそれを達成できているのか」ってことだ。ここの趣旨はコラムに限りなく近いので、小説(フィクション・ノンフィクションを問わず)みたいな意味で「読ませる」ことは全く考えてない。とはいえ、「読者の心に響く」モノを追求するという点では同じハズなので、当てはめてみる価値はあるんじゃないかな。
 当ったり前だけど私は現実世界に生きているわけだから、ここの話題も「現実に立脚した」モノばかりである。一応は。実際、ココの題材は全て「その気になりさえすれば、誰でも知ることが出来る」ものばかり。ということは、素直に苦しさ・楽しさを語っているだけで「リアリティ」があることになる。コラムってものの性質上、それ以上でもそれ以下でもないはずだ。
 そう考えると、「素直に感じたことだけ書いていればいい」ってことになるけど、それだけで本当にいいのか。このサイトは「他人がついて行けないこと」を書くっていう趣旨があり、おそらく世界中の誰が読んでも「この話題には付いていけないよ〜」って話が1つ以上あると推測している。ぶっちゃけた話、下手なマンガよりも「浮世離れしてる」ワケだ。
 そんなものを題材としている以上、「フツーと同じ」やり方では駄目なんじゃねえのか?こういう思いがどこかにある。「フツーの描き方では伝わらないことを扱っているんだから、もっと工夫すべきでは」って疑問・苦悩は常ににあるのだ。ただ、日によって「その通りだ」と思ったり、「いやあ、そんなことないでしょ」と思ったりするわけだけど。
 私の見たところ、世の大半のブログは「内輪向け」に書いてあり、一見どんなに浮世離れした話題を扱っていても、「読者にはそれが通じている」って安心感があるような気がする。それが悪いとは言わない。むしろ当然のことだ。ただ、それがヌルい環境であることは否定できないね。

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[紫(ヲタクな話題)]

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